【那須学Q&A 18】義経の腰掛石のある神社はどこでしょう?

義経街道の御幣石の山の斜面

1180年、源頼朝みなもとよりともの平家討伐の挙兵に呼応して、奥州平泉を出発した源義経みなもとよしつねは、白河の関から関東に入り、一路鎌倉を目指して馬を駆りました。

義経が通った道は“義経街道”と地元では呼ばれていますが、正しい街道名は“東山道とうさんどう”で、この道が通る伊王野地区には、数々の義経伝説が残されています。

那須町の源義経伝説の道東山道

関東に入る峠には追分明神おいわけみょうじんがあり、源義経一行はここで道中の無事と戦勝を祈願したと伝えられます。

やがて義経一行は、追分の山あいを抜け里に出ました。そこが沓石くついしと呼ばれる小さな集落で、ここには義経の愛馬の足跡と言われるくぼみがある大きな石“沓石”があり、これが地名となったと言われます。

義経街道の義経の愛馬の足跡が残る沓石

義経一行が川沿いに道を進めると右手にゴツゴツとした石山が見えてきました。一行が登ってみるとそこには粗末な小さな祠があり、周りには大きな石がゴロゴロとしていました。

<現在の御幣石の入り口に立つ鳥居>
義経街道の現在の御幣石の鳥居

<小高い丘なのに急斜面に石がゴロゴロしている>
義経街道の現在の御幣石の参道

源義経はここにあった大きな石に腰掛けたと言われ、その石は“義経の腰掛石”と呼ばれるようになりました。

<義経が腰かけたと言われる石は現在ではどれなのかは不明>
義経街道の御幣石の山頂にある義経腰掛石

源義経は、この小さな祠に武運を祈って御幣ごへいたてまつったといい、それ以来ここを御幣石おんべし 答え 幣石神社べしじんじゃと呼ぶようになりました。

<御幣:神祭用具の一つで紙を切り細長い木にはさんで垂らしたもの>
義経が御幣を奉った御幣神社

<義経街道の追分明神から御幣石周辺地図>
義経街道の御幣石周辺地図

<Dai>


御幣石に関するお問い合わせ先
那須町観光協会
Tel:0287-76-2619


<御幣石(幣石神社)の周辺地図>


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那須学物語【那須学Q&A】は、那須町・那須高原・那須エリアのことをQ&A方式で解説していくものです。参照元情報は、社団法人那須観光協会発行の「那須検定公式テキストブック」「那須学物語」などを参考にしております。これらの情報が那須に移住しようとお考えの皆様方の、那須の知識を増やし那須人になるきっかけになればと思います・・・。

choko4※那須高原の那須町に移住してきた筆者が、那須にとけ込んだ人を“那須人(なすびと)”と称し、那須好きの人たちに那須の様々な観光情報を提供することで、“那須人”になってもらいたいと、このブログを開設しています。何か知りたいこと、聞きたいことがありましたら《Contact Us》までどうぞ。




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